無題でいい。

思うことはいろいろあるが、いつも書かずに終わってしまう。批判が怖いか?傷付くのが怖いか?多分、いや、絶対にそうだ。自分はバッシングとか批判とかに弱い。逆風は耐えられない。でもなんでこの人はこんなこと言うんだろうと思える何かはある。だからこそやさしいとか真面目だとかいう言葉に強く正の反応を示す、そう思う。
今まで、いや、今でもそうか。私にとってのヲタっていう定義はコアかライトかによる。コアだったらヲタだしライトだったらファン。へヴィーかライトかも尺度としてもっている。そう考えたら私はヲタだ。自分の尺度で考えたら、私はヲタだ。しかし、常識非常識で考えたら、ほぼ私はファンだ。ほぼといったのは、人間が一つは熱狂することがある生き物である限り、ハメを外したり?いや、あれは箍が外れたというんかな?非常に興奮してしまうことがある。その一時は非ジェントルマン的な状態にあるだろう。自分で自分の事リアルタイムに見てるわけじゃないから、だろうとしか言いようがないが。
夏夏でたくさんの人と知り合いになって、交流も増えて、楽しいことはたくさんあった。でも悩むことが多くなった。自分を縛っていたからだ。今でも縛りがないとはいえない。でも縛りを外すためにまたほかのもので縛ってしまっては意味がない。界隈という言葉の乱用が嫌いならそれで自分を縛らなくていい。
なんでこんな時間まで起きてこんなことしてるんだろうか。(現在25時。)早く寝ない自分が嫌になる。それでも何かを求めるから、どうにかしたいから、キーボードを叩いてるんじゃないだろうか。言わせたい奴には言わせておけというほど、余裕がないのは分かっている。仕事でも心理的にもがくことがある。だが言わなければ双方何をしたいのかどこをどう改善したいのか分からない。言わないのは意見がないのと同じ。とにかく言う。言葉選びはきちっと踏まえたうえで。
今、いろんな意味で選択を迫られていると思う。自分を縛らないため、新たな自分を生み出すため、いろいろ思うが、理由付けは何でもいい。青年の主張をする(べき論を戦わせる)つもりは更々ない。ただ、内から選択を迫られている。それは浪費である。あれは財産である。内なる自分が語りかける。ただし神がかり的なところは何もない。neitherスピリチュアル、nor地獄に落ちるわよ。自分がしたいと思う線引きができるときこそ、取捨選択が簡単になる。すべてのものが溢れかえる時代、選ぶということは自分そのものであるというところまで来ている。
そろそろ気持ちも落ち着いてきた☆カナ。やっぱり好きなもので自分を囲うって人間にしかできないことだからこれからもそうしていきたいね。適度に流されながらw